TOCfE国際認定プログラム 2017新橋 #4 どんな影響があるのか?

はじめに

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エコロジー(影響)

わたしにとっていいこと

認定の講師をやったことで起こる(はず)私に取っていいこと。

  • 認定PGを楽しめる様になる
  • BCとは異なる層(IT特にAgile系知り合い)への伝え方が身につく
  • 1日通しの講師の自信が付く
  • ツッコミ

もっと色々と思いつくものはあったはずなんですけどね。文字に起こし始めると出てこないもんです。では、解説を。

認定PGを楽しめる様になる

この回の国際認定プログラムは楽しめるだろうね。実際に楽しめたしね。あくまで2017年新橋回はね。
これは単なる私の願望。私が講師をやらない回が私が楽しめる場になる保証は一切ないわけだし、むしろ講師をやってしまったが故にたくさん不満が出そう。「講師のオファーがあった。だから自分は講師にふさわしいレベルなんだ」みたいなことをほざいた人がいたらしいです。そんな人が講師をやる回は、楽しめないだろうね。なので、関わる以上は楽しみたい。そんな願望。

BCとは異なる層(IT特にAgile系知り合い)への伝え方が身につく

これ何か出さなきゃと思って書いてるよね。ブートキャンプと国際認定プログラムって参加者の層が違うんですよ。ブートキャンプは「自分から知識を取りに行く人」や「普段は自分から知識を取りに行かないけど今回は取りに行く覚悟を決めた人」が多い。でも、国際認定プログラムは「証書が欲しい」や「言われたから来ました」な人が多い。人を厳選した2017年新橋のファシリテーターでも「証書が欲しい」が理由の人がいたみたいだし。「そういう人達に届く言葉を発せられるのか?」「どうすれば届くのか?」を試して身につけたいという、願望だね、これw
括弧書きは・・・日和っただけだと思うw

1日通しの講師の自信が付く

「但し、完遂できれば」という注意書きが入る。1日通しで一人で講師って体力的に厳しい。でも、できたなら自信着くよねって話です。やってみて思ったことは、1日通しで一人で講師をやってできないことはないけど、覚悟と準備がないと無理!。ブートキャンプで一人でコンテンツを作り1日通しで一人で講師をやってのける某氏には「頭おかしい(褒めてる)」みたいな感想を送った記憶があります。 自信までは行きませんが、"できる"とは思いましたよ。

ツッコミ
  準備で何が起こる。

意味不明w
準備とかのレビューで何かツッコミを受けて予想しない何かがおこる。 そんな感じかな?


わたしにとってわるいこと

認定の講師をやったことで起こる(はず)私に取ってわるいこと。

  • TOCfEの人感が今までより強くなる(参加した人に)
  • 当たり障り無く無難に認定の講師をやることを期待される様になる
  • TOCfE(特にNPO)に取られる時間が増える
  • ツッコミ

もっと色々と思いつくものはあったは(ry

TOCfEの人感が今までより強くなる(参加した人に)

TOCfEの人って思われるのが嫌なんです。一緒にされるのが嫌なんです。でも、国際認定プログラムで講師をやったらTOCfEの人って思う人が増えると思うんです。
結果、かわらないねw ブートキャンプでスーパーバイザーって立ち位置やってる時点でTOCfEの人って思う人は増えるし、たった一回の国際認定プログラムの講師でブートキャンプよりTOCfEの人って印象を与えるわけがないわけで。

当たり障り無く無難に認定の講師をやることを期待される様になる

国際認定プログラムには共通のテキストブックとスライドがあります。なので、自分で準備するよりも、私が伝えたいことや私らしさを出すのは難しくなる。共通のテキストブックとスライドを使うことで、こいつダメじゃね?な講師と一緒にされるのが嫌だったわけ。TrTの解説のところでこのあたりの努力が垣間見れると思う。
結果から言えば、共通スライドは一切の変更を加えずに「中 大和な研修だった」と感想をもらってます。

TOCfE(特にNPO)に取られる時間が増える

だって、NPOが嫌いなんだもん。 やっても増えてないし、杞憂だったね。
あ、シンポジウムの日に岸良裕司に説教するために早起きしたな。私に授業料を払ってくれないかなぁ。

ツッコミ
  準備で何が起こる。

意味不明w
準備とかのレビューでn(ry


まわりの人にとっていいこと

認定の講師をやったことで起こる(はず)周りの人に取ってわるいこと。

  • 講師の実績を持つ人が増える
  • 講師のあり方のバリエーションが増える
  • 認定参加者の満足度が上がる

もっと色々と思いつ(ry

講師の実績を持つ人が増える

講師を増やすってのがNPOの目標の一つだし、嬉しいことなんじゃないかな。
NPO嫌いな人から見ても、権威好きな人に「講師ですが何か?」とNoって言える人が増えるのはうれしいことなんじゃないかな。

講師のあり方のバリエーションが増える

テキストブックの朗読会ではない国際認定プログラムをやってもいい。
そう思ってくれる人がいたら嬉しいな。

認定参加者の満足度が上がる

「その講師の言葉だから届かない」人や事があると考えてる。だから「私だから言葉が届くけど、他の講師では言葉が届かない受講者や事」の部分が拡がるわけです。逆に、私では届かない受講者や事へのフォローも必要になってくる。このあたりもTrTの解説で垣間見れると思う。


まわりの人にとってわるいこと

認定の講師をやったことで起こる(はず)周りの人に取ってわるいこと。

  • メイドの我が侭が通りやすくなる
  • 講師で異なる雰囲気の差が増える
  • 相性のわるい参加者がTOCfEコミュニティを敬遠する様になる

もっと色(ry

メイドの我が侭が通りやすくなる

国際認定プログラムで講師をやったって実績ができるわけだし、権威好きな人にとっては好ましくないことかと。
そんなもの無くても、2016年渋谷の国際認定プログラムみたいに、トップダウン&少数のスーパーマン依存な運営をひっくり返すとかやってしまうわけですがw

講師で異なる雰囲気の差が増える

これが良いのか悪いのかはわからない。トレーニングとして均一なもの提供することに意味はあると思う。品質がバラバラすぎるのは問題だからね。だからといって均一過ぎて、受講者の多様さに対応できなくてもよろしくない。この葛藤は常に存在する。
でも、ここで言っているのは特異すぎるものが混じったら、みんなは対応しきれる?
ということ。

相性のわるい参加者がTOCfEコミュニティを敬遠する様になる

これは誰が講師をやってに発生するけど、癖が強いと余計に発生するよね、って懸念。そもそも誰がやっても発生するし、色々なスタッフが揃っているからこそフォローもできるんじゃないかな。余計に発生しすぎないように参加者を観察して、過剰な分は押さえようとは思いました。


まとめ

私が考えていた影響はこんな感じでした。前回に引き続き、高望みや綺麗事感がありますね。自分でエイトフレームをやるとエコロジーって結構甘いんですよね。言語化しきれなかったり、日和ったりしてしまう。このあたりに私の独善さ不足を感じます。これが解消できれば、自分の中に感じる歪みもなくなるのかな。

次回予告

次回はリソースだけか、リソース〜最初の一歩まで書きます。どっちになるかは、来週末の気力と体力次第です。それが終わったらATT編突入です。皆さんの感想をまってまーす。